3の1 道徳
2022年3月11日 16時59分今週は、3年生にとって、県立高校入試も終わり、中学校の仲間との思い出を作ることが出来るラストの1週間でした。お別れ遠足や性教育講座、認知症サポート講座など多岐にわたる学習の場がありました。担任の先生とは、まるで小学校の担任の先生ばりに、ずっと一緒に過ごしていました。教科担任制の中学校ではほとんど見られない光景でした。担任以外の先生も授業をもらって最後の授業を子どもたちと一緒に楽しんでいました。私にまで声をかけていただいて、いつもの数学では無く道徳の授業をさせてもらいました。3年1組ならきっと深まると考えて、保健の先生やICT支援員の先生も一緒にとっておきの道徳を子どもたちと一緒に受けてもらいました。じゃがいもに対するカウンセリングマインドとイマジネーション、インスピレーションでみんなで作っていく授業です。予想通り、ノリノリで行ってくれて、こちらが想定していた以上に深まり、参加した先生方もみんなの柔軟な発想に驚いていました。人間の脳のクセを知ることは物事を理解することの手助けとなります。みんな同じように見えたじゃがいもでしたが、名前を付け、じっくり観察することで、すっかり私に会いに来てくれたのジャガイモさんになっていきましたね。授業が進むにつれて大切に愛おしく思いながら班員に紹介している姿が見られました。お別れを告げて前の段ボールに返しに来たときは誰一人投げ入れたり放り投げたりすること無くそっと箱の中に置いていました。その後、ジャガイモをかき混ぜもう一度ジャガイモを探してもらうとほぼ全員が先ほどのジャガイモさんと出会うことが出来ましたね。見かけはよく似ていても、中身は違うんですよね。特に日本人はみんなよく似ている姿をしています。牛100頭いたらみんな同じに見えるかも知れませんが、牧場の方は全て違って見えています。そうです、みんな違う存在なのです。その違いを認めることが相手を理解したり自分を理解することにつながります。また理解する手立ての1つとして名前を付ける威力を思い知りましたね。名前を付けたことで一気に「私のジャガイモ」になっていきましたよね。私たちにも名前があります。たくさんの願いや思いを込めて付けられた名前。この名前のおかげで違いを認識する威力がぐんと上がります。ただの牛、ただのジャガイモ、ただの草、なんて生き物はいないのです。でもついついひとくくりにしたがるクセが人間の脳にはあるのです。それも知っておいて欲しいなぁと思います。長文でごめんなさい、伝えたいことであふれています。