今年は、梅雨入りは早かったものの、雨が降らない空梅雨でしたよねぇ。久しぶりに本格的な大雨でした。雨の時には雨の時にしか見えない風景があります。作物を育てている人達にとっては恵みの雨だったり、傘を新調した人は何だかルンルンだったり、花粉症の人にはラクだったりとそれこそ人によってバラバラのとらえ方となるんでしょうねぇ。雨だから気が滅入るなんていうのが代名詞のように例えられる雨の日ですが、雨ならではの発見もたくさんありますね。体育館でのバレーボールの授業は、面を広々と使って技術練習をしていました。トマトは雨に濡れ、ツヤツヤとしていました。防水コーティングしたような葉っぱや実は、人間が雨に濡れないための生地や製品の参考にする最高のモデルになるんでしょうね。
だれにでも「美しいと感じる瞬間」があります。それは、恋する人の笑顔であったり、野球の試合でのワンシーンであったり、ふと目に入った窓からの景色であったりします。その美しい時間は、すぐに目の前から消えていきます。しかし、その瞬間が美しいと感じることが多ければ多いほど、その人の感性は磨かれていくのでしょう。 平成2年9月に亡くなった写真家の土門拳さんは、宇治の平等院へ撮影に行った時、夕暮れの中に美しい光景を発見しました。
「無我夢中で一枚シャッターを切った。たった一枚。そして、もう一枚と思って、レリーズを握った私は、シャッターを切るのをやめた。さっきまで金色に輝いていた茜雲は、どす黒い紫色になり、鳳凰堂そのものも闇の中にすがたを消していたからである」(『〝古寺巡礼″図録』 士門筆写真展事務局)
感動的な出会いである。写真家はその一瞬をフィルムに収めようとし、画家はその美しさをキャンバスに描く。
それが、たとえ、芸術家でなかったとしても(中学生でも)、今、自分が感じた美しさとは何だったのか、なぜ、印象に残ったのかを考えてみることは必要でしょう。それが自分を知り、自分の感性を磨き、物を見る目や、表現する深さにもつながっていくのだと思うのです。
雨の日の景色にも目を向けてみてください。